修行僧とお釜の話
昔、お坊さんから聞いたお話です。
修行僧が修行から戻ったとき、煮炊きをする大きなお釜の中で泥だらけの足を洗ったそうです。きれいに洗ったあと、そのお釜でお米を研ぎ、ご飯を炊き、修行僧たちに振る舞ったところ、「美味しい、美味しい」と言って食べたといいます。
もしその事実を知っていたら、多くの人は抵抗を感じ、「そんなご飯は食べられない」と思うでしょう。しかし、知らなければ「美味しい」と感じて食べるのです。
この話から学べるのは、「美味しい」と感じるのは事実であり、気持ち悪いと感じるのは感情や思い込みだということです。
感情が判断を左右する
私たちは、日常の中で「抵抗を感じる」「なんとなく嫌だ」といった感情に左右されることが多くあります。
物事に取り組むときも「難しそう」と思い込んで一歩踏み出せないことがあります。
確かに「お釜で足を洗った」という事実はあります。けれども、きれいに洗ったお釜で炊いたご飯は、本当に食べられないのでしょうか。
現実と感情はしばしば異なるものです。だからこそ、「これは事実だろうか?」と自分に問い直すことが大切です。
私自身の体験 ― 「トイレの鍋」
20年前に聞いたこのお話を思い出す出来事が、私自身にもありました。
あるとき、使い古した金ダワシで便器を磨きました。捨てようと思いながらも台所に置いてしまい、うっかり鍋を磨いてしまったのです。もちろんすぐに台所用洗剤で入念に洗いましたが、「便器を磨いた金ダワシで磨いた鍋」という記憶が残り、どうしても「トイレの鍋」と思えてしまうのです。
鍋は清潔になっているはずです。しかし「便器」と「鍋」が自分の中で結びついてしまい、心の中ではラベルが貼られてしまったのです。
思い込みが可能性を止める
私たちは誰しも、過去の経験や思考パターンから「これはこうだ」とラベルを貼り、思い込みで判断してしまうことがあります。
- 記憶に基づく先入観
- 習慣による思考の癖
- 無意識のパターン
これらにとらわれてしまうと、未来の可能性を閉ざしてしまうことがあります。
だからこそ、「うっ」と思うことや「えっ」と感じることがあったときにこそ、**「それは事実だろうか?」**と問い直す力が必要です。
まとめ
思い込みや記憶に惑わされて判断を誤ることは、誰にでもあります。
しかし、そのときに「これは事実か? 感情か?」と一歩引いて見つめることで、未来の可能性を閉ざさずに生きることができます。
20年前に聞いた「お釜で足を洗った修行僧の話」は、今も私の心に残り続けています。
それは「事実と感情を切り分けて見つめ直すことの大切さ」を、いつも思い出させてくれるからです。



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